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2002年ペルー旅行記(by ほび)

出発前

 旅行の手配はちゃぼうず君に全て任せていたが、旅行前の大掃除、荷物のパッキング、出発前日の答練など慌しく、英語や西語のブラッシュアップもできないまま出発の日を迎える。ペルーは治安があまりよくないと聞いているので不安もたっぷりである。

一日目

 伊丹空港から成田への便は雪のため欠航だった。「本来振り替えできないチケットですが、特別に振替させていただきます。それとアメリカンエアには電話で連絡しておきます。私どもに出来るのはここまでです。」とのことで、本来乗る予定の一つ前の便に乗せてもらう。それでも2時間遅れ。

 羽田についてリムジンバスにするか鉄道にするか選択に迷うところ。雪の影響はバスのほうが出るだろうとの予想のもと、電車で。京急、京成線はやたら時間がかかった。

 成田に到着。6時40分頃。搭乗予定の便は7時15分発。間に合ったーと思っていたが、AAの窓口は冷たく、「10分前までお待ちしてましたが、締め切りました。明日になります。」とのこと。そんな、、、なんとかなりませんか。と下手にでて懇願。ペルー国内便も手配済みだし、成田で一泊すると1,2万円余分にかかってしまうので、必死である。

 荷物がそれぞれリュック一つだったこともあり、電話していれてもらう。空港係員のお姉さんと一緒に搭乗口まで走る。出国手続きは書類の記入なしになっててよかった。しかしあとあと考えると時間的にもまだ30分も前なんだから最初から最善を尽くしてくれてもよかろうに、と思った。

 AAの機内では両隣が台湾人観光客。私の隣のおじさんは落ち着きがなく、うろうろしつつ、いろいろ話し掛けてくる。多少の日本語を話すひとだったが、聞き取りに苦労する。ちゃぼうず君のとなりはやはり中国語圏の方だったが、英語を殆ど理解できないようで、飲み物の注文にちゃぼうずくんが通訳していた。が、ちゃぼうず君の中国語がそもそも相当に怪しいので、あまり役に立っていなかった。

 機内では、映画スチュアートリトル2を見る。あともう一本何か見た気がするけど、忘れてしまった。

(ダラス)

 ダラスに10時間半後の到着。トランジットだけなのに、一旦入国の必要があるらしい。テロの影響か? ビザ免除の申請書など記入して入国。「ハネムーンか?」と聞かれる。これは習慣みたい。帰りにも聞かれたので。

 リマ便は約3時間後の出発。6時間半ほどの飛行時間。私とちゃぼうず君は通路をはさんで隣り合わせだった。私の隣のペルー人は英語を話せる人で、いろいろ親切に話し掛けてくれる。席を替わろうか? との申し出を2回されて、ようやく替わる(何時間もずっと隣だったので、どうでもよかったのだ)。その隣(窓際)は年取ったペルー人のあばあさんで、私の前の席にそのご主人が座っている。AAは席の采配をもう少し考えたらどうかと思う。英語は話せないらしい。目が合うとにこにこと笑顔を返してくれる。

 (リマ)

 漸くリマに到着。席を替わってくれた親切なペルー人がガイドブックを指し示して、「クスコはここのホテルがいい。」と教えてくれる。クスコの宿は既に決めていたが、とりあえずお礼を言う。

 リマの空港に着いたのは現地時間で夜中の2時である。こんな時間であるにもかかわらず出迎えというか、客引きというか、すごい人ごみである。そこをすり抜けようとするとガイドらしき人につかまるが、「すべて予定がくんであるので、必要ないんですー。」とウソをついて逃れる。それでもいろいろ親切に国内便のカウンターの場所やそこが何時に開くかなどを教えてくれた。

 空港内の洗面所で水の出し方がわからず困っているとペルー人の女の子が教えてくれる。ついでに少し会話。

女の子「どこからきたの?」
ほび「日本です。」
女の子「そう、日本の女の子はみんなかわいいわね。」
ほび「あはは。」

(きっちり化粧したその女の子はどうみても20代前半に見えたので、心中うなってしまう。)

女の子「ペルーにはどのくらいいるの?」
ほび「10日くらいかな。」
女の子「そう、ペルーは沢山いいところがあるからゆっくり見ていってね。」

 などと会話。翻って私は日本の空港で、外国人に「日本はたくさんいいところがあるからゆっくり見ていってね」と言えるだろうか、とふと思う。

 クスコへの出発は早朝6時である。その時間まで人ごみのまばらな空港二階のカフェテリアに腰を落ち着ける。高山病の予防にダイアモックスを飲み、ぼーっとているとそこへ飛行機で隣に座っていたあのペルー人がスーツに着替えてやってきた。

 とりあえず席を勧めるとなんと旅行会社の人でマリオさんという。「ホテルはもう決めてあるんですー」というと、じゃあ、空港まで迎えのタクシーを手配してあげる。という。あら、こんな夜中に早朝の手配ができるのもすごいなあ、親切だなあと感心しつつ、お願いする。3$なり。クスコもリマと同じく客引きがすごいらしいと聞いていたので、一安心。

(クスコへ)

 リマークスコは約1時間。早朝の到着。「CHABOUZU」と書かれた札を持ったひとがいた。早速タクシーへ。タクシーには運転手さんとなぜかもう一人女性が同乗。この女性はツーリスト会社の人で、車中、熱心にいろいろなツアーを勧めてくる。なるほど、そういうことだったのか。それなりに疲れていて、考えもあまり纏まらないので、夕方オフィスにおじゃましますということで切り抜ける。

 天気は上々。夏とはいえ、乾燥しているからか、暑くはない。空港からの道で気付くのは、やたら犬が多いことである。花田に着くまでにいったい何匹の犬を見たか知れない。クスコの家々は土でできていて、屋根は赤色。なんとなく埃っぽい。

 インターネットで予約していたペンション花田に到着。クスコの街はすり鉢状の街で、すり鉢の底にあるアルマス広場がクスコの中心である。そして花田は中腹、すなわち比較的高台にある。安宿だけど、ちゃぼうず君がかつて泊まった場所を知りたい気持ちもあって、ここにした。なるほど、こういうところか。中庭のある、たぶんクスコの典型的な住宅。ただ、あまり手入れはされていない。スプレー菊が咲いている。サイゾウとムサシという犬がいる。最初えらく吼えるが、撫でてやると急におとなしく従順になる。トコトコと後をついてくるのがかわいい。

 まだ朝早いので、しばらく食堂で休みつつ、うろうろしていると、「ちゃぼうずさん? アレキパへのチケットどうする?」と突然声を掛けられる。花田さんである。「あ、ちょっと待ってください」とちゃぼうず君を呼ぶ。花田さんは無愛想、というのが、同宿していた吉野さんとの一致した見解。ただ、嫌な感じがするわけではないので、全然平気。

 ペンション花田はドミトリー式なので、別々の部屋も覚悟していたが、2人部屋を使わせてもらう。

 大阪からここまで寄り道せずにダイレクトに来たが、35時間くらいかかっている。疲れていたので、しばらく横になる。夏なのだが寒い。3300メートルの高地で空気が乾燥しているので、日陰にすなわち屋内は寒いのである。

 昼近くになって、昼食にアルマス広場まで出る。花田から歩いて10分もかからない。広場には、レストランの客引き、その他の客引きがやたら多い。しかし、クスコの人々はとても愛想がよくフレンドリーなので、そう嫌な感じでもない。

 うろうろして、適当な店に入る。川魚のスープ、鳥のクリームスープ、ペルーの名物料理のセビーチェを注文する。川魚は臭みが強く、私はちょっと苦手だったが、ちゃぼうず君はおいしいと言って食べていた。セビーチェはレモンがよく効いていておいしいが量が多すぎ。ほとんど残す。「おいしくなかった?」と聞かれて申し訳ない感じ。おいしかったけど、小食なんです。飲み物は私はホットチョコ。砂糖が入ってなくて、おいしい。チョコレートも名物らしい。ちゃぼうず君はコーヒー。

 アルマス広場付近を少しだけうろうろして、宿に戻る。移動の疲れがまだ残っているのと薬(ダイヤモックス)を飲んでいてもやはり3300メートルの高地は辛い。ベッドで休む。ぐっすり眠り込む。途中夜8時頃目が覚めたが、ちゃぼうずくんがすやすや寝ているので起こさずに「今日は晩御飯抜きかなあ」と思いつつ、再び寝る。次に目が覚めたのが夜10時過ぎだった。

 この宿は門限がありそれが11時なので、今から食事に出かける時間はない。高地なので、昼夜の寒暖の差が激しく夜はものすごく冷える。寒いので、暖かいスープでも飲んで寝たいところだが、難しい。ちゃぼうずくんは暫く考え込んだあと「11時に門前で待っててね」と言って、意を決して、食料の調達に出かける。

 11時、ちゃぼうず君が暖かい皿を持って帰ってきた。ピザである。アルマス広場の高級ピザ屋さんで仕入れてきた。「ピザをくれ」と言ったら、「大丈夫VISAも使える」と言われたらしい。

 食堂に入り、紅茶を入れて一枚のピザを分け合って食べる。シャワーは9時までなので、今日はシャワーなしで眠る。

2日目(クスコ市内観光ツアー)

 昨日はぐっすり眠ったので、夜明け前に目が覚める。7時くらいになったらサクサイワマンに散歩に行こう、とちゃぼうずくんがいう。

 サクサイワマンはインカの遺跡の一つで花田から2キロくらいのところにある。ちゃぼうず君は10年前とはいえ、花田に3週間滞在していたので、周辺の地理はわかっているらしく、安心して着いて行く。

 サクサイワマンはクスコの高台にあるので、ずっと登りの路を行く。まだ高地に順応しておらず、息がきれる。30メートルほど歩く毎に立ち止まって一休みしつつ歩く。途中、朝日を受けて瞑想している人がいる。多分、ここに住む外国人だろう。

 サクサイワマンへの登り口に到着。子羊が2匹草を食んでいる。近くに人がいたので、この人が飼い主かと思ったが単に待ち合わせをしていたらしく、待ち人が来てサクサイワマンのほうへ登っていってしまった。子羊は放し飼いにしているらしい。

 サクサイワマンへの登り口の右手は崖になっていて細い川が流れている。ちゃぼうず君は「これが聖なる谷だよ」、とウソを言う。

 休み休み登ってようやくサクサイワマンへ。早朝はフリーパス。入場料をとられないらしい。牧草に朝露が光っている。早朝にもかかわらず、ちらほらと人がいる。欧米からの観光客であったり、ガイドさんであったりする。

 あるガイドさんが「ガイドしましょうか?」と声をかけてくれるが、ぶらぶら散歩してるだけなので、といって断る。

 小1時間ほど散歩したあち、宿に戻って今日の予定を立てる。クスコに来てすぐマチュピチュに行くつもりだったけど、聖なる谷ツアーというのが火曜、木曜、日曜しかないというので、その日程にあわせることにした。今日は水曜日、明日聖なる谷ツアーに参加して、あさってマチュピチュへ行くことにした。今日の午後は市内観光。この市内観光は昨日アルマス広場で声をかけてきたツアー会社に申し込むことにした。 

 それとオフィスにお邪魔するね、といっていたのに寝過ごしてブッチしてしまったお姉さんのところへも行かねば。さらに花田さんの会社にも行ってマチュピチュへの電車を確保しなければ。

 まず、アルマス広場にある花田さんの旅行会社でマチュピチュ行きの電車の確保。バックパッカークラス30ドルをお願いするつもりだったが、すでに満席で、一番高いヴィスタドーム80ドルになってしまった。

 つぎに昨日アルマス広場で客引きされたツアー会社のお兄さんのところへ。愛想のいいまだ年若い男の子で昨日は市内観光5ドルと言っていたが、帰ろうとすると4ドルと値下げしたのに、今日は5ドルだという。値下げ交渉しようとしたが、ちゃぼうずくんが面倒くさがったので、5ドル支払う。その代わり、市内観光チケット(名所の入場券10ドル)をひとっ走りして買ってきてもらう。

 このツアー、現地の人も参加するツアーで西語と英語の両方のガイドである。欧米人向けの英語オンリーのツアーだとガイドブックによると10ドルである。外国人向けのツアーはどこでも基本的に高い。ちなみにここでの「聖なる谷ツアー」は10ドル(外国人向けのツアーは25ドル)。交渉次第で8ドルにはなるらしい。

 さらに昨日約束をすっぽかしたお姉さんのところへ。「高山病で寝てましたごめんなさい」とおわびして、「聖なる谷ツアー」を申し込む。25ドル。一応「他では10ドルでしたけどー」というと、「そのツアーはお昼ついてないし、英語じゃないから値段がちがうのよ。」といなされる。

 さて、次はお昼ご飯。高山病のせいで食欲が落ちていて、頭痛も若干あり。普段食べなれないものはつらいので、日本食レストラン「金太郎」でお昼。梅粥と雑炊のおいしさに涙する。「クスコにいる間、もう毎日ここでいい」というとちゃぼうず君は笑っていた。照り焼きハンバーグと野菜炒めは普通の味。野菜炒めは私が作ったほうがおいしい。

 市内観光ツアーまで時間があったので、歴史博物館に入る。ここで知ったのは、街作りにあたって、ナスカもクスコもプーマの形を取り入れているということだった。どうもインカの人は動物の形がお気に入りだったみたいだ。

 今日のメインイベントの市内観光ツアー。スペイン語のガイドのあと英語のガイドをする。ガイドさんは大変であるが、一生懸命な人だった。

 お客さんはペルー人の家族連れや若い欧米人のカップルが多い。一人旅らしき日本人の女の子もいたが、あまり話したがってはいない雰囲気だったので、言葉をかわさず。英語よりスペイン語のほうが得意らしく、スペイン語のガイドが終わるとガイドさんから離れていた。

 まず、カテドラルの内部の見学。ちゃぼうずくんは10年前ここクスコに3週間もいたのに、一度も中に入ったことはなかったらしい。しかし、ここのカテドラルはすごい。なんともすごい。ヨーロッパでもこんなに華やかなカテドラルは見たことがなかったというほど華やかである。ちゃぼうず君曰く、「こんなことになっているとは露知らず。」

 次にコリカンチャへ。精巧な石組みが見所の個人の邸宅?らしい。このくらいからガイドさんの説明がくどく感じられてきた。説明のうち、西語もスペイン語も少しわかるがどちらもわかるところは同じところであるせいである。さらに移動の時、クスコ市内は車が多く、排気ガスがものすごくて、匂いに敏感な私は耐えがたくなってきた。まだ高地に慣れていないせいもある。

 つぎの場所は朝来たばかりのサクサイワマンである。私達が朝きたところを反対側からサクサイワマンに入る。ここはとても広くて、空気も綺麗で私の好きな場所であるが、どうも疲れてしまってこれ以上ツアーを続ける気にはなれなかった。ガイドさんには申し訳ないが、リタイアすることにして、そのように申し出る。

 ガイドさんは「えー、まだあるのに、残念だ」といいつつ、「体調が悪いし、ここからならすぐ帰れるので」というと、「じゃあ、最後にリャマの形の石組を教えて上げる」といってリャマの石組みを教えてくれた。これは教えてもらわないとわからないもので、ガイドつきのツアーの利点をつくづく感じた。記念にリャマの前で写真を一枚。ガイドさんは本当にクスコを愛してますーという感じの人で、「クスコを楽しんでくれ」と明るく見送ってくれた。

 宿に戻って一休み。ちゃぼうず君は、私が途中でリタイアしたがったことを「だからツアーはいやなんだ」などとぶちぶち言っていたが、自分も疲れていたようで、すぐにぐっすり寝てしまった。

 夕食はしつこく「金太郎」へ。体調がすぐれないときはお粥か雑炊に限るねっ。ちゃぼうずくんはうどんと湯豆腐を頼んだが豆腐は一旦凍らせたもののか、ぼそぼそしてて今ひとつだった。

 アルマス広場周辺ではまだ小学生くらいの男の子が絵葉書を売り歩いている。観光客を見つけると「一枚1ソル」で買ってくれとつきまとわれる。私はこんな小学生くらいの子が働いているなんて、と思い、ちょこちょこ買っていると、「いちいちそんなのにつきあってたらきりがないよ」とちゃぼうずくんはいう。ついでに「ほびくんは子供に甘いな」というが、あとあとわかることだが、ちゃぼうずくんは商人に甘いので、どっちもどっち、というか、ちゃぼうず君のほうがより性質が悪いと思う。

 洗濯モノが少したまってきたので、明日、朝ランドリーに持っていくことにする。洗濯機は花田にもあるが洗濯している時間ももったいない。

3日目(聖なる谷ツアー)

 あいかわらず朝は夜明け前に目が覚める。観光は朝早いし、移動も早朝が多いので、いい傾向ではある。クスコではじめてシャワーをあびる。ゆうに96時間ぶりくらいか。普段なら考えられないが、乾燥しているので汗をほとんど感じないせいだ。もちろん、朝夜が寒いので、シャワーを浴びる気がしない。バスタブさえあれば喜んで入るところではある。

 今日は「聖なる谷ツアー」である。朝8時半に待ち合わせのカテドラルへ。私達が一番最初のお客さんで、次々にホテルを回ってお客さんを拾う。回るホテルの殆どが高級ホテルで1泊の値段は私達の宿(一泊5ドル)の15倍くらいするホテルである。日本の物価で考えるとそれでも安いほうだけど。昨日のツアーのお客さんと比較してハイソな人々が多い。ある程度年配だったり、韓国人の女の子二人連れだったり。

 お客さんを拾い終えて、バスは山の中の道をどんどん行く。途中放牧されている牛、豚、リャマ、などがいる。のどかな高地の田園風景である。いささか高地且つ荒野であること、土が赤茶色であることがクスコの田園風景の特徴。

 季節は雨季に入ったところで、緑が多く、今がもっとも美しい季節だとガイドさんはいう。聖なる谷ツアーではインデイオが伝統的な生活をしている街、高度4000メートルを越える地点を経由してピサックの市、オリャンタンタイボ、チンチェーロなどを訪問する。

 このバスの道程の風景は本当にすばらしい。赤茶と緑のコントラスト、谷の両側面にひろがる畑、など、日本にも中国にもヨーロッパにも、どこにもない風景が広がっている。空気もなにかピン!とはりつめているような気がするのは、空気が薄いせいだろうか。

 3日目にもなると高地にもかなり慣れたらしい。私は元気一杯である。ピサックの市でめずらしいものを沢山見てちょこちょこ買い物をした。羊の頭がごろんと売られているのを見て少々ショックを受けたりもした。ここでの買い物は私の食指はあまり動かなかったが、ちゃぼうず君はいろいろ買いたがった。

 しかし、値段交渉がめちゃくちゃ下手である。そう、ちゃぼうずくんは子供には厳しいくせに商人には甘いんである。私が値段交渉をしていると、「これ欲しいのに買えなくなったら嫌だよ」といって私に値段交渉をやめさせようとする。買えなくなるわけなんかないじゃん!もっとも、気に入ったものを手にいれたんなら、それでいいけどさ。

 ピサックの市の後レストランへ。この日のお昼はビュッフェスタイル。インカコーラなど飲みながらレストランの庭で食事。京橋のバンドのようなフォルクローレを演奏するひとたちがやってきて、演奏している。

 レストランの前にはみやげ物やさんが店をひろげている。そこで腰紐を買う。このあたりは織物や編物がさかんらしい。

 銀製のブレスレットなどをを売ってるおばちゃんがいた。一つを手にとって、「いくら?」と聞くと25ドルだという。「高いからいらない」というと、「いくらなら買うの?」と聞くので10ドルしか持ってなかったわたしは10ドルというと値段交渉がはじまった。お土産にいいかなあ、という感じでどうしても、というわけではなかったし、実際10ドルしか持っていなかったので、かたくなに10ドルだと言っていたら、どんどん彼女の言い値が下がる。12ドルまできたところで、バスの出発時間。彼女が根負けして「10ドルでいい」というので、10ドルで買う。

 そんな経緯があったので、最初はかなり高い値をつけるのね、という印象を持ってしまい、次におとづれたチンチェーロで大失敗をしてしまう。チンチェーロは素朴な小さな市がたっている。そこでも敷物を一つ買おうとした。そこそこ適正な値段を言われたのに、無理な値段交渉をしようとしてしまった(実際にはしていないけど)。相手のおじさんが私の意図を読んだのか、悲しそうな顔をしていてできなかったのだ。

 しかし、チンチェーロではいいこともあった。そこでは自分の工房を持って商売をしているおばさんのお店があった、織物もいろいろ見た後だったせいもあって、そのおばさんの織物はすごくよくできているのがわかった。一枚織物を買った。あとでピサックで買った織物と比較してもそのおばさんの織物は素朴で丁寧ですごくいいものだと思う。値段は同じ大きさのどの織物よりも安かった。ある程度モノをみる目とその相場を知っていないと楽しい買い物は難しい。

 オリャンタイタイボの遺跡もすばらしかった。

 この日の夕食はなんだったっけ。ああ、アルマス広場近くの普通のご飯やさんでメキシコ風のメニューとなんちゃら風メニューだった。夜クスコ市内が一斉に停電した。町が全部見事に真っ暗になって、悲鳴が聞こえた。私達はお店にいたのでとくに慌てることもなかった。電気はすぐについたが、お店の人が蝋燭をもってきてくれた。  ちゃぼうずくんは「口述試験を思い出したよ」と。(※ ちゃぼうず君は口述試験中に泊まっていたホテルが停電した。)

4日目(マチュピチュへ)

 今日はマチュピチュ行きの日。朝5時半に宿にタクシーに迎えに来てもらうことになっている。駅までそう遠くはないが、駅周辺は少し治安が悪いらしいので、タクシーでいく。

 5時25分に宿を出るとそこにはもうタクシーのお兄ちゃんがいた。早速乗り込んで駅へ。4ソル也。クスコ市内のタクシーは2ソル均一らしいが、早朝の迎えつきなので、倍である。それでも日本円にすれば150円くらいなので、クスコというかペルーのタクシーはかなり安い。

 駅にはチケットを持った人しか入れないようになっている。駅入り口では早朝だというのに、いろんな物売りの人がいる。水を買おうかとも思ったが、2ソルだというので、やめにした。普通1ソルで買えるからだ。

 物売りの人をさけて、早々に駅に入る。ビスタドームは最高級列車なので、列車の入り口にはコートを来た駅員さんがそれぞれの車両毎に立っている。私達の席は予約が遅かったこともあって、進行方向右側(景色のよくないほう)である。ビスタドームの予約にあたって、Aの1.2という席が取れたらそれはすごくラッキーなことである。電車の一番前で前も左も大きな窓の向こうの最高の景色を眺めながらマチュピチュに向かうことになる。

 定刻どおりに出発。電車はスイッチバックを繰り返しながら、クスコの街から脱出する。

 同乗していたガイドさん(もちろん他所様のツアーの)が、左側の空いている席を勧めてくれたので、そちらに移動する。オリャンタンタイボで途中乗車してくるその席の予約者が現われるまでその席に座ることにする。

 列車内では朝食サービスがある。飛行機の機内食と似たようなもの。

 クスコからアグアスカリエンテス駅まで約4時間かかる。途中眠くなって寝ているうちにアグアスカリエンテス駅に到着。列車内で水とチョコレートを買う。なんとそれぞれ5ソルもした(日本より高い)。こんなことなら駅で2ソルの水を買っておくんだった。

 雨が降っている。駅では乗客のほとんどがマチュピチュ行きのバスに乗る。ずらずらと乗車のために並んでいる人々をかいくぐって街にでる。私がどうも電車に酔ったらしく気分が悪かったので、マチュピチュ行きは明日にしようかどうしようか、と迷っていたのと、両替の必要があるのと、宿を探してみようと思ったからである。

 うろうろしていると、「マチュピチュの入場券はそこ(観光案内所)で買えるよ。」と教えてくれる親切なひとがいる。そこでチケットを買う。今日のスタンプを押されたので、今日、マチュピチュに行くことに決定した。薬屋さんで両替。今日のお天気具合を聞いてみるが、昼くらいまでこの調子で雨だろう、とのこと。宿はすぐに決められず、とりあえず、マチュピチュ行きのバスに乗ることにする。

 バスに乗車するための行列はすでに消え、すぐにバスに乗ることができた。13回の九十九折の山道をいく。気分はあいかわらず悪かったが気合を入れていく。なんとか無事マチュピチュに到着した。

 お腹がすくと困るので何かスナックを仕入れてからいくことにするが、どこに売っているのかわからない。マチュピチュ前のマチュピチュサンクチュアリロッジ(最高級ホテル1泊300ドルもする)の人にどこで売っているか聞くとさすがに高級ホテル、丁寧に教えてくれる。

 スナック類はマチュピチュの入り口前の緑の傘のある店で買える。そこで大きなチキンサンドを一つ注文する。「二人で食べるのか?」 と聞かれて「そうだ」と答えるとちゃんと半分に切ってくれた。

 サンドイッチを持っていたビニール袋にいれていよいよマチュピチュに入る。入り口には人が並んでいた。昨日の「聖なる谷」ツアーで一緒だった人たちがいる。並びがてら少し話しをしてみる。アメリカ人の大学生の女の子とその父親の二人連れだった。お母さんは日本人で少し日本語が話せるとのこと。ふぅん。大学生になって父親とふたりで旅行するなんてなんとも幸せな家族だなぁと思う。

 私達はツアーではないので、ガイドなしである。ガイドつきもいろいろ知るにはよいけれど、当然ながらペースが自分とは違うので、ときどき早く次にいってくれないかなぁと思うこともある。

 マチュピチュは広いので、自由に動き回りたいし、ワイナピチュにも登りたいので、ツアーにしなくて正解だったように思う。

 ツアーの参加者の人たちとは別の方向に適当に歩き回る。歩き回るとマチュピチュは昔懐かしい「巨大迷路」のようで、時々行きどまりになって、脱出口を探しつつ進むことになる。そんなこんなしているうちにお腹もすいてきた。さっき買ったサンドイッチを景色のいいところで食べる。ちゃぼうずくんが用意してきた音楽を聞きつつ、マチュピチュの景色を眺めながら食べるサンドイッチは、意外においしくておいしくて、感動モノだった。

 そろそろワイナピチュに登ってみようか、ということでワイナピチュの登山口に行く。往復で2時間みれば大丈夫な行程らしい。登山口の山小屋では入山記録に名前を書かなければならない。記録をちらちらと見ると私達の前に日本人も2,3人登っているみたいだ。

 名前を書いていると山小屋の番人さんみたいなひとが「あんた登れるのか」みたいなことを言ってくる。え、私って華奢にみえるのかなあ、と思いつつ、そうよん、と答える。

 ワイナピチュは想像していたよりもかなりハードである。いままで登ったこともないような急な石段を登っていく。途中雨も降ってくる。いったいいつ着くんだろうと不安になる。本当に1時間ほどで着くの? 一人若干年配の人がかなり休み休み登っていた。山登りの途中はいろいろな人を会話を交わす。マチュピチュは本当に世界的な観光地であるので、いろんな国の人がいる。たぶん、アメリカ人が一番多いのだろうけれど、オランダ人とかドイツ人とかいろんな国籍の人と声を掛け合いながら登る。中学生のとき、園芸部の初登山(高山植物を見に行く目的の登山)で先生が「山登りでは行き交う人には必ず声をかけるのがマナーですよ。」と言われたことを思い出す。

 ようやく頂上につく。頂上へは最後は軽いロッククライミングである。そして頂上では石にへばりついている感じ。とても二本足では立てないようなところである。そんなところであるにもかかわらず、なんと犬がいた。ペルーの犬は本当にどこにでもいる。

 頂上に到着して、途中あきらめないでちゃんと登りつめてよかったと心から思った。ひさびさの登山の爽快感。疲れは一瞬で吹っ飛ぶすばらしい眺めである。

 頂上ではアメリカ人の若者が「何分かかった?」と聞いてくる。「だいたい1時間くらいかな」というと、「俺25分」とか言って威張る。そりゃ、年が違うし。  

 ここで花田では一回会ったきり会ってなかった吉野くんに会う。吉野くんはツアーできているらしく、集合が午後3時だとかいって「何のために泊まるねん」とぶちぶち文句をいっていた。

 ワイナピチュからのマチュピチュの眺めを満喫し、山を降りることにする。

 途中すごい雨が降ってくる。準備のいい私はちゃんと雨合羽を持っていたが、ちゃぼうずくんは忘れたらしい。私は大きなゴミ袋を持っていたので、それを破ってちゃぼうず君に着せる。なんとか無事下山したところでは雨はやんでいた。

 気がつくと汗でTシャツはびしょびしょである。小屋の裏でこっそり着替える。宿をとっていたら着替えなど置いてきていたかもしれないので、宿をとっていなくてよかったと思った。

 再びマチュピチュを散策。ふと気付くとガイドブックをどこかに置き忘れたらしい。置き忘れたと思われる場所に戻ってみてもガイドブックはない。あや、困った。個人旅行でガイドブックがないととっても困る。しかもまだ書いてない絵葉書と切手が挟んで入ってたのに。

 別にとやかく責めたわけではないが、ちゃぼうず君が少し落ち込む。そういや、さっきも傘をしまい忘れて注意されたところだった。

 高地で疲れもあるのかな。

 とりあえず、気にせず散策再開。マチュピチュの一番高いところへいく。ここからの眺めは絵葉書にある景色そのままである。

 しばらくぼーっと眺めたあと、ではゆるゆると降りますか。ということで、マチュピチュを出る。

 バスに乗る前にマチュピチュ入り口のスナックバー(朝サンドイッチを買ったところ)でコカコーラを飲む。ワイナピチュに登るのに二人で500ミリリットルの水しか持ってなくて、水分飢餓状態だったのだ。普段まったく飲まないコーラなのに、こちらではなんだかんだと3回くらい飲んだ。たぶん、水の味に飽きるんだと思う。普段は水をほとんど飲まず、お茶かポカリスエットばかりのせいで、水だと物足りない。かといってお茶もポカリスエットもないのでコーラになる。

 ペルーでは、しぼりたてのオレンジジュースがあちこちで売られているが、衛生面が気になってなかなか注文できずにいる。

 ここでのんびり休んでいると降ったり止んだりの雨のせいでおおきな虹が向かいの山にかかっている。遠くの山の頂き近くから落ちている滝がある。霧がかかっている。二人でのんびりそれらを眺めていた。幸せな時間だった。

 バスに乗って、山を降りる。マチュピチュ名物(?)グッバイボーイも山を駆け下りた。チップを渡すにあたって、ちゃぼうず君は50センターボでいいという。まったく子供には厳しいちゃぼうず君である。

 アグアスカリエンテスに着いて宿探しである。アグアスカリエンテスのメーンストリートに「グリンゴホテル」の看板があり、そこに泊まることにする。

 1泊30ドル。パスポートの提示を求められるも、私はコピーしか持ってない。もっともこれでこと足りた。

 グリンゴホテルはコロニアル調というのか、ユニークな建物のホテルでタイルの装飾がが綺麗なホテルだった。シーツなども清潔だったけど、やたら蚊やハエや蛾がいて、私はその退治にしばし夢中になってしまった。一段落して夕食と温泉に出かけることにする。ついでに、今日、汚れたものを早速洗濯してもらうためにランドリーに寄る。

 夕食はガイドブックで見つけていたなんちゃらというレストランへ。テラスで食事。野菜のスープとアスパラのスープ、チキンの照り焼きとちゃぼうず君は何頼んだっけ? ひさびさに量的に圧倒されずに済み、味も上々だった。

 ここもクスコと同様、放し飼いの犬がたくさんいる。おかげでメーンストリートといえども犬の糞だらけである。クスコでかなり耐性ができたらしくにおいにはかなり慣れた。

 食事をしていると、犬が4,5匹やってくる。おすそ分けを期待してやってくるらしい。食べ物をわけてやってもよかったのだけれど、お店の人に悪い気がして、やらなかったら、おとなしく帰っていった。

 食事も終わりかけの頃、一匹の猫を見かける。「ペルーで2匹目だね」と話していると、私達のテーブルの足元にやってきて、甘える。「ひゃあ、挨拶に来てくれるとは思わなかったよ」とちゃぼうずくんは大喜びである。そうこうしていると、突然、私のひざの上に乗ってくる。撫でてやるとひざの上でずっとおとなしくしていた。

 そろそろ温泉に行こうかということで席を立つ。猫は自力では降りてくれず引き離す。

 時間は夜6時過ぎ。あたりはすでに暗い。アグアスカリエンテスのメーンストリートのどんづまりに温泉の入り口があり、そこで入浴料5ソルを払う。手前には水着やタオルのレンタルの店がある。私達はちゃんと用意してきたので、レンタルの必要はない。

 温泉へは渓谷の遊歩道を歩いていく。水の流れる音が清清しい。入り口から約5分ほどで温泉に到着。着替えて荷物を預け、温泉に入る。明かりで照らされているとはいえ、結構暗い。噂に聞いていたとおり、プールのようだ。一番大きなお風呂と他に4つほど小さなお風呂、打たせ湯と水風呂がある。

 いろんな国の観光客とおぼしき人や、地元の人や、修学旅行(?)にきている中学、高校生くらいの子供らがいる。子供らは泳ぎ回り、はしゃぎまわって、騒々しい。

 温度はかなりぬるいので1時間くらいじっくり浸からないと風邪をひきそうだ。季節は夏だけれど、ここもやはり高地なので、夜は冷えるのだ。

 そうこうしているうちに、再び吉野くんにあう。吉野君としばらくおしゃべり。吉野くんは会社をやめての南米旅行の途中でアルゼンチンとかチリとかいろいろ回ってきてクスコにきたらしい。10年前のちゃぼうずくんみたいだ。

 「日本にはいつ帰るのか」と聞いたら「2月くらいかなぁ」と言っていた。「帰りたくならないの?」と聞いたら「全然帰りたくない」と言っていた。私にはすごく不思議だったが、ちゃぼうずくんは「そういうもんなんだって」と言っていた。

 長風呂をほとんどしないちゃぼうずくんがのぼせてきたらしいので、帰ることにする。それでも1時間くらい浸かっていたので、ほこほこになった。

 宿に戻って私はすぐシャワーを浴びる。花田では一度シャワーをあびたきりだったので、じっくりシャワーを浴びるが、途中水になってしまう。ほとんど洗い終わっていたので、よしとする。

 シャワーを出るとちゃぼうずくんはすでにぐうぐう寝ていた。ちゃぼうずくんはここ5日くらいシャワーヲ浴びてないので、今日こそシャワーをと思っていたのに、まったく、しょうがない。

 私もクスコにきてからお風呂にはいらなくてもあまり気にならないのは、クスコが高地で空気が乾燥していて、ほとんど汗をかかないからである。しかも朝夜は寒いのでシャワーを浴びる気がしないせいだけど、もっと大きな理由は花田ではシャワーは共同なので、別棟に行かなければシャワーを浴びられないのだ。

 なので、アグアスカリエンテスではバスつきのホテルを希望していたのだが、見つけられなかったので、仕方がない。それでもシャワーが共同でなく、部屋にある、というだけで、このときの私達にはとても贅沢な部屋だった。(いつから私はこんなに質素になったのだろう)

5日目(アグアスカリエンテス、クスコ)

 翌朝、蛾が私のふとんの中に入ってきて目が覚めた。うー。クスコにきてからずっと早起きになっている私達。朝6時前から宿のレストランで朝食。

 宿代に含まれているだけの朝食では物足りず、卵料理を注文する。のんびり早朝の食事をしていると、猫がやってきた。ひゃあ、猫だー。ちゃぼうずくんが、ひざをとんとんとたたくと、猫はちゃぼうずくんの膝の上に飛び乗る。ちゃぼうずくんはご満悦である。

「夕べ、ほびくんの膝の上に猫が乗ってて、すごくうらやましかったんだ」

 そうこうしているともう一匹猫がやってくる。膝の上の猫がその猫を威嚇する。「この膝の上は渡さないぞ」という感じ。

 もう一匹の猫はそんなもんいらんわい、とばかりに窓のほうへ。窓枠にちょこんと腰かけて、レストランの少年のボーイさんと一緒に景色を眺めている。ボーイさんは猫にほお擦りしながらなにやら話し掛けている。ちゃんと可愛がられているんだなぁと安心。

 食事も終わったので、膝の猫を下ろして部屋に戻る。膝の上の猫を下ろすとき、猫は嫌がってちゃぼうずくんにしがみついていた。

 とりあえず、昨日着た水着もあることだし、今日も洗濯をしよう、ということで、洗濯物を持ってランドリーへ。ホテルを出ようとフロントを通りがかったところへホテルの人が「ランドリー?うちでもできるわよ」と言ってくれる。値段を聞くと昨日のところより安く、しかも1時間でできるという。お願いする。

 実はちゃぼうずくんが穿いているズボンは昨日の雨でどろどろでそれも洗濯に出したかったが、着替えがない。ということで、着替えを買いに街へでることにした。

 なかなか合うサイズがなく、半ズボンを25ソル?で買う。早速ホテルに戻り、ランドリー追加。私がおばさんを探し回っている間、ちゃぼうずくんは猫を見るためレストランへ。そこでボーイさんに今日一日予定がないんだけど、どこかいいところがないか、聞いたらしい。ポトクシという山に登ってみたら?といわれる。

 さて、ではポトクシに行くことにした。

 ちゃぼうずくんの後をついていく。線路づたいに歩いていく。たぶんあの山だと思うんだけど、、、と言いながらなんだか頼りない。向かう先から大きな荷物を背負った青年がやってきたので、私は道を聞く。

 「ぺるどん」と声を掛けると何故か青年はすごく嬉しそうにしてくれて握手を求められてしまった。ポトクシにはどういくの?と聞くと、マチュピチュじゃなくて、ポトクシだよね。といいつつ、案内してくれるという。大きな荷物を背負っているというのに、急な坂道もすいすい登っていく。必死でついていく最中、私は大きなミスをする。

 青年はあそこが登山口だ。と指さして教えてくれて、もう一度握手をして別れる。なんだかすごく嬉しかった。

 さて、登山口。たしかに登山用の道がついていて、やはりワイナピチュと同様、石段がついている。ときどき木で作った階段もある。いずれもしっかりしているので、道に不安はないが、うっそうとした森の中で、ワイナピチュのように人の行き来もない。静かすぎて気持ち悪い。虫除けスプレーをふんだんにかける。

 ちゃぼうずくんは「こんなところを登る日本人観光客は僕達だけだよ、きっと」とご満悦なのだが、どうも私はなんだか引き返したい気分。

 なぜか。こんな人気のない山なのに、「なんでこんなところまで犬のうんちくさいの?」と不思議で仕方なかったのだが、それは私が犬のうんちを思いっきり踏んづけて、犬のうんちが靴にもズボンにもはねて、なんと靴下にもついていたからだ。

 草や流れている水で洗い流したり拭いたりするがなかなか匂いが消えない。我慢して歩いていると80度くらいの傾斜の木の階段が目の前に。しかもどこまで続いているのか先が見えないほど長い。「え。これ登るの?」階段はすごくしっかりしているし、手すりもついている。しかし、傾斜度は大げさではなく、80度くらいある。

 しばし迷う。少し登ってみるが、かなり怖い。ちゃぼうずくんは少し登りたそうだったが、私は犬のうんちの匂いとあいまって、すごく帰りたい気分になった。

「いいよ。ほびくんが決めて」というので、降りることにした。

 街に戻ってズボンを洗濯してさっぱりしよう!と思いつつ降りていると、登山者に会う。二人連れのカップルである。

 「どうでした?」と聞かれたので、途中で諦めて帰る途中だ、などど話しをする。私達より幾分若い人たちだったので、あなた達なら大丈夫、いけるわよ、と勇気づける。「どこから来たの?」とお決まりの会話。日本、というと女の子の顔がほころぶ。彼女はメキシコ人だそうだが、2ヶ月ほど大津に住んでいたことがあるとのこと。日本語も少しできる。

 彼女達と別れて町につく。とりあえず、ちょっとの登山だったけど、気温が高いので、随分汗をかいた。温泉でのんびりすることにする。水着を持って、タオルは借りることにして、温泉へ。

 わたしはこっそり温泉で自分のズボンを洗濯する。私が穿いていたズボンは早乾性の素材のトレパンだ、すぐに乾く。打たせ湯のところで目立たないように洗濯していたが、それでも他のお客さんは何かいいたそうである。ペルー人の男性客は「なぁ、お前日本語話せるか?」「いや、できん」「そうか、俺もだ」なんぞと話し合っている。私は聞こえないふりをしていそいそ洗濯する。温泉入り口をみると温泉の番人さんもこちらを眺めて何か言いたそうだ。

 ふふん。そうこうしているうちに洗濯終了。バスタオルでタオルドライをして椅子にかけておく。私は一仕事終えた気分で悠々と温泉に入る。

 ちゃぼうずくんは、地元の女の子二人連れと話しをしている。「ほびくんが洗濯してる、と言ったら笑ってたよ」すごく陽気な女の子たちである。日本の女の子も明るいけれど、ああいう陽気さは日本の女の子にはないもののように思う。

 しばらくして、のぼせたちゃぼうずくんとお風呂からあがって、椅子にのんびりすわる。私はまだ物足りず、小さなお風呂にもはいってみようかと、うろうろしていると家族連れの女性グループが手招きをする。入ってみるとおばあちゃんと若い娘さんとその子供や赤ちゃん、といった人たちで、家族でその小さなお風呂を占有している。赤ちゃんはとてもかわいらしく、抱かせてもらう。この近くに住んでいて、休日の今日、家族そろって温泉にきたらしい。

 どこからきたの?年はいくつ?赤ちゃんいないの?などという質問に答えているとじゃあ、ペルーで子供つくんなさい、って。ダンナさんは?という質問もあったので、ちゃぼうずくんをつれてくる。しばし世間話というほどの話しはできなかったけど、楽しく過ごした。

 温泉をでて、昼食にいく。今日は昨日のレストランの隣にあるゴビンダレストラン(菜食レストラン)に行く。優しそうなおじさんが一人でやってて、これがすごくおいしかった。昨日と同じ野菜スープやカレーピラフとかの定食を注文したのだが、ヨーグルトやレモネードもついて9ソルくらいで大満足だった。

 のんびりご飯を食べてみやげ物屋さんなど冷やかしているとちゃぼうずくんがトイレに行きたいという。そろそろ電車の時間でもあったので、じゃあ、駅に行こうということになる。 さて、駅への道をすっかり忘れてしまった。店のおばちゃんにきいて方向はわかったが、さてさて、と思っていると観光ポリスがいた。

 駅はどうやっていくんですか? と聞くと、カイザル髭のポリスは「君たちはどこからきたんじゃのお?」とのんびり聞いてくる。う、トイレに行きたくて駅への道を聞いてるだけなんだけど。「日本です」と答えると、「名前は?」と聞く。なんで駅への道を教えてもらうのに名前まで言う必要があるんじゃい、どうせ忘れるくせに、と思いつつ答える。「そうか、わたしは何某という」と自己紹介をして握手。「駅まで案内しよう、ついてきなさい」だって。

 杖をつきながらのんびり歩く。ちゃぼうずくんのお腹、大丈夫かなあ。数分で駅に到着。お礼を言って別れる。ちゃぼうずくんはトイレへ。

 さて、少し時間がある。駅の売店でアイスクリームを買って食べることにする。なんだか融けてもう一度凍らせたような食感の悪いアイスクリームが5ソルもした。まったく駅とか列車内はものすごいインフレである。

 帰りの電車内。飲み物のサービスあり。窓からの景色は綺麗。牧場や畑にいる人がこちらに手を振ってくれる。なんだか心温まる。

 列車内では、「最高級ベビーアルパカのセーター」のファッションショーあり。車掌さんがモデルになって、とっかえひっかえセーターを着て登場する。結構ウケテイタ。ただ、ちょっとお高いので、見るだけでおわり。

 私達の席の前のほうに日本人観光客の団体さんがいる。いずれも定年退職したと思しき方々でクスコやマチュピチュに行くには結構体力がいると思うのだが極めて元気そうだった。

 クスコに到着。クスコはすごい大雨で雷が鳴っていた。ほとんどがツアー客だったので、電車の降り口までお迎えのバスがきている。私達はタクシーなのだが、乗り場がわからない。ガイドさんらしき人に「タクシー乗り場はどこですか」と英語で聞く。ここを出たところだと教えてくれる。そのうえ、「タクシー強盗が多いから、タクシーのナンバーを必ず確かめて乗りなさい。」と温かい注意をくれる。

 駅をでてすぐ通りがかったタクシーを止める。「プラザデアルマス」と告げる。人相とナンバーをチェックしたが、特に問題はなかった。このあたりは治安の悪いところだと聞いていたが、確かに私達が歩いたクスコとはなんとなく雰囲気が違う。雑多な感じで怪しげなお店がある。

 無事アルマス広場に到着。さて、今日はクスコで最後の食事である。贅沢だが、クスコで最高級のレストラン「インカレストラン」に行くことにする。贅沢とはいっても、天王寺で食べる普通の食事と同じような値段である。物価の低いところにくるとその物価どおりの生活をしようとしてしまうのは、私達が基本的に貧乏性だからか?

 席につくと大量のチップスがでる。いろんなくだものとか野菜のチップスでやたらおいしい。だが、しかし、これを食べ過ぎると私達はメインディッシュの大半を食べ損ねることになるので注意が必要である。

 いろんなカクテルもあるが、飲めない私達はおとなしくレモネードなどを注文し、野菜スープ、きのこのリゾット、魚料理を注文する。ウエイターさんが「野菜スープは一つでいいのか」と聞くので、「シェアして食べる」と答えると「じゃあ、二つの皿に持ってきますよ」と言ってくれる。

 野菜スープは二つの皿に持ってこられたが、日本ではそれぞれたっぷり1人前づつの量である。本当にこれ、一人分かなぁといいつつ、気にせず食べる(勘定書はちゃんと一人前だった)リゾットも魚も大変おいしかった。やはり最高級レストランのことはある。

 夜8時すぎレストランを出て宿にかえる。帰り道、酔っ払いが「なんて綺麗な女性なんだ!You are lucky man! 」と言われてちゃぼうずくんは上機嫌でサンキューと言っていた。

 荷造りをして、明日の出発に備える。荷造りをするだけで息切れがする。マチュピチュよりも高度が高いせいだ。一応、アレキパのホテルを花田にあるガイドブックからメモ。

近所で猫発見

6日目(ペルー第二の都市アレキパに向かう)

 早起き。5時半に宿をでる。アルマス広場でタクシーを拾う。クスコは本当にいい街だった。本当にいい思い出ができた。などと感慨深く町並みを眺める。空港に到着。

 3人ともそれまで一言も話しをしていなかったが、タクシーの運転手さんに「クスコは本当によかった」というと、運転手さんはとたんに顔がほころび、「そうか、また必ずクスコに戻ってこいよ。今度はいつ来る?」と言う。10年後くらいかなと答えて別れる。

 アレキパ便では窓際に席に。アンデスの険しい山並みを上空から眺める。日本にはない光景である。

 1時間ほどでアレキパに到着。アレキパ便はそもそも乗客数も少なかったが、空港もやけに静かである。空港では「コンニチハ!」と日本語で空港職員の人(映画「愛が微笑む時」に出てくるバスの運転手さんそっくりな人)に声をかけられる。私達が通り過ぎたあと、その人は「コーンニーチハッ、こんにちはっ」と妙な節をつけて歌っていた。

 アレキパは快晴。空港出口ではタクシーの客引きさんが20人くらいいる。リマと比べると本当に少ない。空港を出るまえにインフォメーションのお姉さんと目があう。とりあえず、せっかく目があったことだし、お姉さんに相談。

「モナステリオ前のホテルに泊まりたいんだけど」
「予約してあるの?」「まだ」というとロバート!と誰かを呼ぶ。ツーリスト会社の人で、ホテルの予約をしてくれて、ホテルまで送ってくれるという。ラッキー。

 アレキパの街はクスコに比べてものすごく静かである。車の通行量も少ない。そして暑い。季節は夏である。ただ、ここも2000メートルほどの高地なので、朝夜は冷える。

 ホテルについて、ラウンジでロバートに地図をもらい、ここのあたりはあぶないので近づくな、などと教えてもらい、さっそくツアーの斡旋をされる。「キャノンデルコルカ」という渓谷ツアーがアレキパのメイン観光らしいけれど、2泊3日かかるので、これは無理。明日、田舎を廻る市内ツアーにいくことにする。一人25ドル。プライベートツアーである。

 ホテルに落ち着く。このホテルは古い建物を改装して、アンティークを適度に配置したインテリアの落ち着いたいい雰囲気のホテルである。ペルー旅行中一番高級なホテルだった(それでも二人で1泊60ドルくらい)。

 なんとなく、アレキパはのんびりする街のような気がする。あくせくせず、のんびりしようね、と話す。とはいえ、朝ごはんがまだなので、朝ごはんを食べにでかける。アルマス広場(ペルーの中心地の広場は大概「アルマス広場」という)まで歩いて数分の好立地である。

 アルマス広場に着くなりレストランの客引きさんにあう。10時を過ぎていたが、「朝食できますよ」という。めんどうだからつられようよ、結構いいかもよ、とちゃぼうずくんに言う。別の客引きさんが、「ソコハタカイヨ、タカイヨ」と商売の邪魔をしていた。

 はたして、そのレストランはアルマス広場をとりまく建物の二階のオープンテラスのレストランですごく眺めがいい。確かにしょぼいメニューのわりには値段が高くまさしく観光客向けであるが、もし、こんな眺めのいいレストランがあれば、大阪ならいつも満員だろうと思われるレストランだった。客はなくガラガラだったけど。

 暖かい日差しを浴びながら、パンケーキやらトーストやらを注文し、のんびりたらふく食べる。とても贅沢な気分。

 ホテルに戻ってしばし休息。クスコより高度が低いので体はとても楽。なんだかとても落ち着く。その後市内をぐるぐる廻ることにする。ホテルの目の前のアレキパでもっとも大きな観光スポットの修道院(モナステリオーやたら台所の多いところだった)、カテドラルや博物館を見て廻る。

 夕食は客引きにあい、なぜかアルゼンチン料理の店に。海老のスープを頼んだのに海老が一つもないので、スープをつつきまわして探していると店の人がとんできて取り替えてくれた。取り替えてくれたスープには海老がこれでもか、というくらいに入っていたが、じゃがいもも4つくらい入ってそうなすごいボリュームでほとんど食べられず、ステーキもわらじのような大きさでその量に圧倒されてしまいほとんどを残してしまった。食事の途中、へんなおじさんが「ぺるどん、アミーゴ、、、、」と話しかけてきたが、何を話しているのかさっぱりわからず困惑しているとお店の人が追い返してくれた。どうも本当に変なおじさんだったみたいだった。

 満腹になって、ホテルに戻る。さすがに今日はふたりともシャワーを浴びてさっぱりした。

7日目(アレキパ二日目、買い物と市内観光)

 朝早く目がさめる。6時くらいだったが、朝食をとることにする。ホテルのレストランにいくとレストランのおじさんが退屈そうにしていて、私達の顔をみて「ようやく退屈から解放されたよーん」という感じですごくニコニコして迎えてくれる。おいしい朝食をいただく。

 今日は月曜日、アレキパが静かな街だと思ったのは昨日が日曜だったからというそれだけのことらしい。月曜日の今日は車の量も多く、騒々しい。

 午後のツアーの時間まで買い物にいくことにする。

 まずランドリーのついでにみやげ物やさんでセーターをみる。ここでは、わたしがほしがったセーターをおばさんは隠して他のセーターばかり勧めてくるので、私も意地になって、なんでアノセーターはダメなの?としつこく食い下がる。おばさんもあきらめてようやく売ってくれる。どうもおばさんのお気に入りだったらしい。他のセーターは30ソルでいいと言っていたのに、結局そのセーターは40ソルだった。夜、仕上がった洗濯物を取りにいくと、「セーター着てみた? いいでしょ、あれ」みたいなことを言っていた。

 他にはベビーアルパカのセーターなどを売っているきちんとした店を発見し、しかも観光客向けでないので、比較的お手ごろ価格だった。いろいろお土産に買う。

 また、高級デパートを見つけ、そこのみやげ物屋さんがディスプレイもきれいで、品物もとてもよかったので、たくさん買う。カードで買い物をして、ちゃぼうずくんが日本語でサインをすると店員さんは日本語を初めてみたのか、「すっごいかわいい! ここに同じのを書いて」と名刺を差し出してくる。ちゃぼうずくんはきたない字でサインをしていた。

 買い物も無事済み、チキンサンドイッチを食べる。ホテルへ帰る途中、やっぱりちゃんとご飯を食べようということで、あまり美しくない食堂に入る。

 ところが、ところが、そこでは、メニュー(定食)を頼んだのだが、スープは蟹や貝のたっぷり入ったスープですごくおいしい。そのあとは魚介たっぷりのピラフというかパエリアというか、そういうもの。ひゃあー。おいしい。けど、やはり量が多くて全部は食べられないのが哀しいところ。食事の途中、流しの演奏家がやってきて何曲か演奏。チップをあげる。満足して店をでる。

 さて、ツアー。ロバートがやってきて、ジョニーというガイドさんを紹介してくれる。ジョニーと私達二人であちこち廻るみたいだ。

 町外れの景色のいいところへ。赤ちゃんのアルパカがいて、めずらしいジュースを飲む。そのあと3箇所くらい観光する。いずれも田園風景ののんびり落ち着いたところだった。いづれの場所も私は気にいった。ツアーは7時までで、食事つきということだったけど、お腹はいっぱいだし、ということで5時くらいに終わってしまった。なんかなぁという気もしたけど、まぁいいことにする。ロバートはバウチャーを一枚も切ってないので、きっと会社を通してないと見た。

 さて、リマのホテルをどうしよう。インターネットで探すことにする。

 リマは結構治安が悪いと聞くし、客引きさんがすごいので、空港ピックアップ付きのホテルがいいね。それとガイドブックがないから、日系のペンションがいいかも、、、ということで、インターネットのホームページで見つけた「casa de pepe 当山ペンション」に予約することにする。

 電話してみると日本語が通じてなんかちょっとほっとする。

 この日の夕食はなんだっけ。そうそう、菜食レストランにした。普通の味。

 アレキパで特筆すべきエピソードが一つ。

 夜、ホテルに戻る帰り道、身なりのよくない人が猫を袋に入れていじめていた(袋から猫のしっぽが覗いていた)。猫はすごく悲愴な声でぎゃろぎゃろ泣いていた。それを見てすごく嫌な気がしたが、その人は笑いながら猫をいじめている。まわりで見ている人の中にも笑っている人と怒っている人がいる。

 ちゃぼうずくんはそれを見て顔を真っ赤にして怒っている。ちゃぼうずくんは文句を言いに行きたそうだったが、私は「なんだか笑いながらいじめてるからすごくヘンな人かも。かかわらないほうがいいよ」と言ったが、わたしの手を振り切っておじさんに向かっていく。私はおじさんから3メートルくらい離れたところでそれを見ていた。声が聞こえないので、以下私の想像した会話。

ちゃぼうずくん「このお金をやるから猫を放してやってくれ」

周りの人は興味津々でみている。笑い声は消えている。

おじさん「猫? 猫ってどこの猫だ?」
ちゃぼうずくん「その袋の中の猫だよ」
おじさん「袋? じゃ、手をいれてみ」

ちゃぼうずくん、手をいれてみる。

ちゃぼうずくん「あれ?いない」

おじさん、舌をだす。舌の上には小さな笛が。

もちろん、ちゃぼうずくんは笛を2つも買うはめになり、周りは大爆笑。 ちゃぼうずくんは恥ずかしさで真っ赤な顔になって私のところに戻ってきた。

でもさ、ちゃぼうずくんがそうやってアクション起こさなかったら「アレキパにはすっごい悪い人がいる」という印象のまま日本に戻ったかもしれないので、よかったよ。

 アレキパでは甘いものを売ってるお店が多くてすごく心ひかれるものがあり、ひとつづつケーキを買って帰ったが、とても食べられずゴミ箱ゆきとなったのは残念だった。

8日目(リマへ)

 アレキパの朝。リマへ出発する。アレキパの空港では日本人の女性をみかける。小学生くらいのオトコの子を連れている。リマに向かう同じ便に乗っていた。

 リマには1時間ちょっとで到着。リマの空港で小学生くらいのオトコの子に「こんにちは」と声をかける。お母さんは気がつかない。男の子は母親に「ねえ、後ろの人がこんにちはって言ってるよ」

 その女性はご主人の仕事の関係でアレキパに住んでいるらしい。今日はご主人が出張からリマに戻るので、迎えにきたとのこと。あまりスペイン語も得意ではないと言う。私達がアレキパに2日間滞在してた、というと、ああ、知ってたら一緒に食事でもできたのに、残念。と心底残念がっていた。

 確かに、アレキパはいい街だけど(一部治安はよくないとは思う。これはペルーどこでもそうみたいだけど)、日本人は少なさそうで、そこに友達もなくって住むのは結構つらいものがあるだろうと思った。

 さて、空港には「ちゃぼうず様」と漢字で書かれた札を持った人がいた。ちょっとすごい。ぺぺさんである。とても物腰のやわらかいまだ30前くらいの日系三世である。

 タクシーでペンションへ。静かな住宅街にある普通の家だった。泥棒が入るといけないので、看板はない。

 家の一階が住まいで二階がペンションである。二階には広い食堂といごこちのいい居間があって、宿泊者用の部屋は4つだったか、6つだったかある。このペンションにして正解だった。ホテルよりもずっと落ち着ける。

 ぺぺさんのお母さんが日本茶を持ってきてくれる。ぺぺさんのお母さんは日系二世ということになるが、お母さんの時代は戦争で日本語を習えなかったとのことで、あまり日本語は話せないとのこと。ぺぺさんのおばあさんも健在で沖縄出身とのこと。ぺぺさんも沖縄のホテルへ研修に行ったことがあるとのこと。

 ぺぺさんの日本語はとても流暢だ。環境としては日本語を学び易い環境にあったといえるが、正確な日本語の習得はなかなか難しいのに、これだけ自由に操れるということは、かなり努力家なんだと思った。

 少し部屋でゆっくりした後、ぺぺさんが周辺の案内をしてくれる。近くに大きなスーパーマーケットがあり、お土産になりそうなものとか、めずらしい食べ物などを教えてくれる。おいしい食べ物やさんも教えてくれる。またその近くには日秘会館があって、その建物内部を案内してくれる。ここは図書館、日秘歴史博物館、銀行、日本語の使えるインターネットカフェ、食堂といろいろある。

 ぺぺさんの知り合いも多く、いろんな人と言葉をかわしていた。

 この日の昼食は日秘会館で食べることにして、午後、早速セントロへ出かけてみる。セントロは古い市街地で歴史的な建物が多い。ただ、若干治安は悪いらしい。

 セントロには大きなショッピングモールがあって、季節的にクリスマス(ナビダッド)の贈り物を買う人たちでごった返している。

 セントロのアルマス広場にでて、周辺の教会や銀行の博物館(これは無料ですごくよかった)などを見て回る。ただ、午後のその時間はほとんどの教会は閉まっていてあまり見ることができなかった。

 セントロは車も人も多くて疲れる。排気ガスのせいで空気もすごく悪い。ガイドブックを持ってないので、地図を買ってミラフローレス地区(お台場みたいなところがある高級住宅街)に行こう、と言ってるのに、なぜかちゃぼうずくんは街をうろうろする。

 ちゃぼうずくんは道に迷っていてもあまり人に道を尋ねない。大概、道を聞くのは私だ。このときはちゃぼうずくんがどうしたいのか、よくわからなかったので、しばらくだまって付いていく。

 ところが、ちゃぼうずくんはただ迷ってるだけみたいだった。車の騒音と排気ガスとで、私はいらいらしてきた。

ほび「ねえ、道に迷ってるの? 迷ってるんならどうして人に道を聞かないの?」
ちゃぼうずくん「え、だって、うろうろしてたらそのうちわかるじゃん。街歩き
               好きだし。」
ほび「そりゃ、空気のきれいな快適なところだったらうろうろするのもいいけどさ、
      ここは全然快適じゃないとこよ。」
ちゃぼうず君「そんなたかだか道を聞くために人を呼び止めるのは悪いじゃん。」
ほび「そんなことはないでしょ。わたしは道を聞かれて答えられたら、知らない人の役に   たててよかった、って思うわよ。ちゃぼうずくんは迷惑に思うの?」
(このあたりから私は結構な剣幕である)
ちゃぼうずくん「迷惑な場合もあるじゃん」
ほび「そういう考え方はおかしい」
ちゃぼうずくん「で、ほびくんはどうしたいの?」
ほび「だから地図を買ってミラフローレスに移動しようって言ってるでしょ」
ちゃぼうずくん「なんで地図がいるの?」
ほび「私は今、どこにいるのか確認しないと気がすまないタチなの。それにタクシーに乗
   ってミラフローレスのどこに行くのか言わないといけないでしょ」
以下、似たような会話の繰り返し。

 とにかく、私はすごくいらいらしていた。こんなにいらいらしたのはまったくひさしぶりだった。とりあえず、アルマス広場までの道を聞いて(もちろん、私が聞いた)、カフェにはいる。

 カフェでも、なんだかわたしのいらいらはおさまっておらず、日本語のわかる人は周辺にいなさそうだったこともあって、私は怒り続けていた。(いや、我ながらびっくり)

 普段(といっても年に2回くらいだけど)、喧嘩するときは二人ともだんまりになって、私は一人で出かけてしまうのが常だが、旅行中は、黙っていても先に進まないし、喧嘩しても一人になるわけにはいかない(互いに心配が多すぎるので)。

 私のこのいらいらは、もしかして糖分が足りないのかとも思い(カルシウムの間違いか?)、ケーキを注文してみる。デコレーションのすごいケーキだったが、味はめちゃくちゃまずかった。

 めずらしく、ちゃぼうずくんが「僕が悪かったよ」というので、(ちゃぼうずくんはめったに謝らない)機嫌を直してミラフローレスに行くことにした。

 タクシーで30分くらいだろうか、ミラフローレスのお台場みたいなところに着く。 そこは崖の上にあって、眼下には砂浜の海。なかなかいいところで、私はすっかり機嫌を直す。そこのカフェでココアなどを飲みのんびりする。

 せっかくだから夕日が落ちる時間までここにいようと、公園のベンチでぼーっとしていると、詩人と称する人が詩を売りにやってきた。しばし彼の朗読に付き合う。世界がどうのこうの、という詩だったが、内容を忘れてしまった。

 夕日が落ちるのをペルーの恋人同士たちと一緒に見て、タクシーでペンションに戻る。

 この日の夕食はペンション近くのチーファ(中華料理屋さん)で。わりとおいしい。

9日目(リマを観光)

 朝は食堂でぺぺさんのお母さんの作ってくれた朝食を食べる。さて、今日はペルー最後の日。ガイドブックからいきたい場所をメモする。

 動物園と、サンクリストバルの丘、黄金博物館である。

 ぺぺさんのお母さんは、それ全部今日行くの? と驚きつつ、「楽しんでね」と送り出してくれた。

 まず、動物園へ。遺跡のある場所に動物園が作られている。かなり広い。日本にはいなさそうな動物といえば、ビクーニャ(最高級の毛がとれる動物)くらいかな。とくにめずらしい動物はいなかったが、プーマがたくさんいたし、猫は放し飼いになってたくさんいたので(ただの野良かも)、結構楽しめた。

 動物園を出てタクシーを停める。

 「サンクリストバルの丘に行ってから黄金博物館に行ってくれ」、というと、まだ20代の新米らしい運転手さんは(リマのタクシーは免許がいらないので、自家用車さえあればタクシー開業できる。なので、危ない場合もある)場所がわからない、という。英語のガイドブックを持っていたので、地図を指し示すが、不安らしく「サンクリストバルの丘までいくけど、帰りは別のタクシーをひろってくれ。それで10ソル!」という。

 リマのタクシーは料金事前交渉制である。確かガイドブックによるとリマ市内からサンクリストバルの丘往復の相場は20ソルくらいだったと思う。

 うーん、サンクリストバルの丘に他にタクシーなんているのか?と思いつつ、いないのに、置いて帰っちゃうこともないだろう、ということで、そのお兄ちゃんのタクシーに乗る。

 すごく明るい運転手さんだった。ペルーの北のほうの出身で、あまりスペイン語は慣れてないという。ふぅん。そのわりには、えらい早口でしゃべるので、聞き取るのが難しい。

 サンクリストバルの丘のふもとらしいところに着いたあたりから、運転手さんは車をとめて「へい!あみーご!」と声を掛けては「サンクリストバルの丘」への道を聞く。

たぶん、10人以上の人に聞いたと思う。少しは見習いたまえ、ちゃぼうずくん。

 丘への道はかなり急な斜面を登っていく。大丈夫かな、この小さな車。と思っているとようやく、丘の頂上へ到着。

 駐車場の係員さんは、なぜか迷彩服を着ている。まぁ、名所とか大きな建物はテロに備えてかならず警備員さんがいる土地柄なので、普通といえば、普通の格好である。

「こんなところにまで、よく来たな」と握手をしてくれる。

 どう見渡しても、他に帰りに乗せてってくれそうなタクシーはいないので、運転手さんに、10分まって送ってくれ、というと、笑顔で当然だ、という顔をした。

 展望台に立つ。リマ市内が一望できる。

 「リマはでかい」と私達よりも運転手さんのほうが感慨深げである。そうじゃないかと思いつつ、「ここ、はじめてなの?」と聞くと、「あはは、3人ともはじめてだ。」と笑う。

 片隅にめちゃくちゃしょぼい小さな博物館がある。あまりに小さいので、私は別にどうでもよかったが、運転手さんが入りたそうだったので、3人分の入場料を払い、入る。

 彼はいろいろ感心してみていた。

 さて、ここまで乗りかかった船、ということで、黄金博物館も彼に連れて行ってもらうことにした。黄金博物館はパンアメリカンハイウエーを通っていく。結構な距離がある。

 黄金博物館のある地域まで近づくと、また「へい!あみーご!」が始まって、やはり10人以上の人に道を聞いてようやく到着。30ソル渡す。

 黄金博物館は個人のコレクションなので、入場料が高い。一人30ソルもする。しかし、ここは一見の価値がある。本当にものすごいコレクションで、とても個人が集めたとは思えない。私は大英博物館を連想してしまった。(それはちょっとおおげさかも)

 ここで、のんびり展示物を見て、庭でお茶と昼食がわりのサンドイッチ。

 黄金博物館を出たところには、タクシーがたくさん待っている。たぶん、ここを見に来るのは外国人観光客ばかりなのだろう。結構ぼられるみたいだ。

 ペンションのあるヘススマリアまで、というと30ソルとかいう。それをなんとか20ソルに交渉して、タクシーに乗る。私達がタクシーに乗り込もうとすると、別のタクシーの運転手さんが、どこまでだ?と運転手さんに聞き、ヘススマリアだ、というと、「いったいいくらで乗っけていくんだよー」とちゃかしていた。私達は誰からみてもいいお客さんなんである。

 30分か40分かそれくらいでペンションに到着。今日の深夜にはリマを離れなければならない。まだ夕方。少し時間があるので、スーパーでお土産とめずらしい果物を買う。帰り道、小さな食べ物やさん(よく高校時代なんかに駄菓子が売ってて、ちょっとしたものが食べられる感じのところ)でジュースを飲む。

 ペルーはアンデス山脈のイメージしかなかったが、実はいろんな野菜や果物が豊富である。アマゾンも近いので(なんだか、床屋さんが近いみたいな言い方だ)、熱帯の果物もたくさんある。私はなんだかんだといろんな生のジュースを飲んだ。マンゴー、パイン、オレンジ、レモン、などなど。

 この店にも、いろんな生ジュースがあった。私が一番好きなのは、オレンジジュースなので、ここでもオレンジジュースを頼んだ。ただ、そのオレンジ(ナランハ)の下の「fresa」という文字が気になって、なんだろう、あれ。でもヘンなのがでてきたら嫌だしなあ、などとちゃぼうずくんと話していた。

 ペンションに戻って早速「FRESA]の正体を調べる。いちごだった。私もちゃぼうずくんも苺は大好きなので、すごく口惜しかった。旅先ではオンリーワンチャンスのことが多いから恐れずに試してみなければ。

 そんな話をぺぺさんのお母さんにすると、「今朝苺買ってきたから作ってあげるわ」という。ひゃあ。嬉しい。ペペママの作ってくれた苺ジュースは良く冷えてて、とてもおいしかった。

 スーパーで買ってきた果物の、剥き方や食べ方も教えてもらい、おそるおそる、食べてみた。そういうもんだった。

 さて、夕食。ぺぺさんに教えてもらったアヤクーチョのおいしいお店に食べに行く。その行きしな、よその家の駐車場で子猫を発見した。5匹くらいいて、すごくかわいい。かまっていると、その家の住人がでてきた。「入って、入って。好きなの持って帰っていいわよ」という。いやいや、猫は好きだけど、日本までは持って帰れません。

 そんなこんなで、夜9時頃、空港へ向かう時間である。深夜1時の出発だけど、リマの空港は結構時間をくうらしい。ぺぺさんとお母さんが見送ってくれる。お世話になりました。また機会があれば、是非。

10日目(帰路)

 リマの空港に到着。手荷物検査に時間を食う。3回ほど、「この荷物は自分でパックしましたか?誰かから荷物を預かってませんか?」とかしつこく聞かれる。そのうえ、私のリュックを全部開けて調べられてしまった。なんか怪しいですか?私。

リマからダラスへ。

 ダラス空港の、マクドナルドでコーヒーを飲む。ちゃぼうず君はタバコを吸いにどこかへ行ってしまった(空港は全て禁煙なので、外にでるしかないらしい)。一人ぼっちでコーヒーをすすっていると、クリスマス前に寂しそうに見えてしまうのか、話し掛けてくれる人がいる。少し疲れていたし、英語はもう辛かったので、ほおっておいてほしかったが、人の親切を無碍にするわけにもいかず、お話し。別にたいした会話ではない。ただ、なぜか「yes」、と答えるべきところをすべて「si」と答えてしまう自分に笑ってしまった。

 機内食はもう飽きていたので、ダラスで何か腹ごしらえをしようと、中華のテイクアウトのお店で焼きそばとチャーハンのセットを買う。付け合せの野菜は茶色に変色していたし、あまりおいしくなかった。うーん、なんだかなあ。

機内は寒かった。ちゃぼうず君がすごく寒そうにしていたので、スチュワーデスさんに「もう一枚毛布貸していただけませんか?」と聞く。アメリカ人スチュワーデスは「一人一枚だけなんで、だめなんですよ」という。「毛布の一枚くらいええやんか、けちくさいなー、ちゃぼうず君が風邪ひいたらどうないしてくれるねん、看病するのは私なんやで。」と言いたかったが、それだけの語学力もないので、すべてを顔で表現する。通じたらしい。なおも何か説明しようとする。結局貸してくれなさそうだったので、「わかったから、もういいわ。」というと、「だめ、私がよくないの。一人一枚って日本語でなんていうの?」と聞いてくる。「ヒトリイチマイデス」と言うと教えてあげる。

 寒そうなちゃぼうずくんには、私が自分用に買ったアルパカのセーターを貸してあげる。「絶対よごさないでよ」という条件付。

 午後、成田に到着、なんだかすごくほっとする。どこからか、猫の鳴き声がする。あれ、笛かな。それとも、誰か本当に猫連れてきちゃったのかな。荷物検査では「猫の鳴き声するけど、猫持ってませんね」と聞かれる。あげると言われたけど、ちゃんと断ってきましたよ。荷物の重さだけ確かめてパス。

 成田から羽田に移動。電車の中では眠りこける。羽田から関空、やはり眠りこける。日本に着いた安心感からか、すごい疲労感である。ただ、遊んだあとの疲労感なので、それなりにさわやかではある。

 自宅最寄り駅に到着。今夜のご飯はラーメンにする。たまに来るここのラーメンはすごくおいしい。このラーメン屋さんがダラスの空港にあったら、大繁盛なはずのに、ここはすいている。

 テレビがついてる。コマーシャルが初詣の宣伝をしていて、一気に現実に引き戻される。ああ、年末だった。年賀状かかなきゃ。大掃除しなきゃ。

旅行が終わって。

 今回のペルー旅行は私が今まで出かけた旅行の中で一番楽しかった旅行のような気がする。歴史や自然環境や文化が違うということに思いを寄せることが多かった。翻って日本はどうだろうと考えることも多かった。

 私は比較的平凡な主婦なので、毎日、すごく瑣末なことに心を砕いている。朝起きたとたん、今日のご飯は何にしようか、とか、ああ、天気がいいからお布団を干さないと、とすると午後3時には家にいなきゃ。あ、テレビの上のほこりが、、、。などなど。日常にべったりつかっている立場になると、日常から離れることはものすごく新鮮だ。 (主婦でなくてもそうかもしれないけれど、主婦は特に日々の繰り返し、費やす労力は殆ど評価を受けない、ほんとに瑣末な事柄なんである)

 そして、普段、思いをはせることのないようなこと、日本から遠く離れた1500年頃のペルーの状況や、現在の人々の暮らし、ネイティブの人々の暮らし、日系移民の暮らし。それとの比較で日本の1500年頃のこと、どうして日本ではその時代侵略されなかったのか、イエズス会はどうだったのだろうか、などを考える。

 さらに、普段、ちゃぼうず君以外の人と全くしゃべらない日が何日もある。ところが、旅に出ると一日に何十人もの知らない人と会話する。たいしたことのない会話ではあるけれど、もちろん、自由に言葉をあやつって話せるわけではないけれど、いろんな人と会話して、すごく沢山の親切に触れる。

 今回の旅行はホテルの予約とか飛行機の手配など、すべてちゃぼうず君に任せてしまっていたので、とても楽朕な旅行だった。ちゃぼうず君が一度訪問したことのある場所だったこともあって、安心、快適な旅行だった。めいっぱい楽しめた。

 そんなわけで、心と体のリフレッシュのために10年に一度でいいから連れてってください。